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| Upload date | 05 05 2010 |
|---|---|
| views. | 156 |
| Logged date | 02 05 2010 |
| Start point | 36.39423,139.061081667 |
| via point | 36.3904710812,139.061333134 |
| End point | 36.3925316667,139.06163 |
| Distance | 2.43km |
| 移動時間 | 1914秒 |
| Avg./Max. speed | 3.74km/h ・ 8.26km/h |
| Avg./Max. altitude | 152.23,176.9 |
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築城は、太田道灌や長尾忠房などが築城したとの複数説がある。
箕輪城に拠る長野氏の箕輪城の支城として築かれた石倉城が始まりと云われ、
長野賢忠により、水害で残った三ノ丸を中心に再建し、厩橋城と呼ばれることになる。
1551年厩橋城は上野国に侵攻した小田原北条氏に付くが、1560年に景虎の上杉軍が厩橋城を攻め取り、
以降の度重なる上杉謙信の関東出陣の際の駐留拠点となり、1563年には城代として越後北条城主・北条高広を置いた。
高広は一時謙信に叛き小田原北条氏に通じたが、上杉氏、北条氏の同盟の際に上杉方に帰参した。
元亀二年、十月十一日、謙信は厩橋城を出て、武田方の箕輪城主・内藤昌豊と対陣したが抗戦することなく撤退している。
謙信は厩橋城で越年し、翌年正月三日、北条高広に命じて武田方の石倉城を攻め落としたが、武田軍が後詰を派遣したため高広は
石倉城を破却して、川を挟んで両軍が対峙した。
上杉謙信の死後、高広はの1579年、武田勝頼に降伏、引き続き城代として残るも、1582年に武田氏が織田信長によって滅ぼされると
織田方の滝川一益に城を引き渡す。
本能寺の変の後、北条氏直に敗れた一益は上野国から撤退、厩橋城は北条氏に属す。
1590年小田原征伐に際し、浅野長政により攻め落とされた後、徳川家康の家臣、平岩親吉が城代となる。
1601年の関ヶ原の戦いの後、甲府藩に移された平岩親吉に代わり酒井重忠が任され入城。
その後、忠清から忠挙の代に、厩橋の地名は「前橋」と改められ、城も「前橋城」と呼ばれるようになった。
1749年に播磨国姫路藩に転出した酒井氏と入れ替わり姫路より松平朝矩が前橋城に入る。
以後、前橋城は明治維新まで越前松平家の城となった。