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| Upload date | 05 05 2010 |
|---|---|
| views. | 127 |
| Logged date | 02 05 2010 |
| Start point | 36.406735,138.94957 |
| via point | 36.4037926154,138.951942011 |
| End point | 36.4063533333,138.949646667 |
| Distance | 4.44km |
| 移動時間 | 3700秒 |
| Avg./Max. speed | 2.91km/h ・ 8.07km/h |
| Avg./Max. altitude | 313.81,348.8 |
| Tags |
上州長野郷の長野氏により築城され、関東管領山内上杉氏に古くから仕え、
長野業政は、周囲の武将と血縁関係を結び、上杉憲政の重臣として、
北条氏や武田氏の脅威の中、上杉家を最後まで関東管領を支えた。
1552年に関東管領上杉憲政が越後へ逃亡すると、武田信玄の脅威にさらされる様になった
西上野の豪族は動揺するが、長野業政は上杉氏に忠誠を誓い、関東管領職を継いだ
上杉謙信の関東勢の総大将となる。
1554年武田氏、北条氏、今川氏の三国同盟が成立するとこれを期に毎年の様に武田信玄が西上野侵攻を重ねるが、
堅固な箕輪城や業政の巧みな戦術により信玄は、錯乱、撃退された。
しかし名将長野業政も老いと病には勝てず1561年にこの箕輪城で息を引き取る。
その後、長野業盛が城主となるが、松井田城、和田城、安中城、などの支城が次々と信玄の攻撃に落城し、
箕輪城は、孤立することになる。
ついに1566年、2万もの信玄の大軍に攻められた鷹留城も陥落し、同年秋に業盛も善戦するものの
数には勝てず、箕輪城に籠城するが、城主、業盛自身が城門から討って出るなど奮戦したがするも
敵わず御前曲輪の持仏道で自刃し、箕輪城は落城し、長野氏は滅亡。
その後、信玄は内藤昌豊を城代に置き、西上州の拠点するが、1582年武田氏が滅亡すると
北条氏邦が進軍するものの織田信長の関東管領、滝川一益が追い払い、滝川一益の治下となる。
しかし本能寺の変の後の混乱に乗じて北条氏邦が一時的に占拠。
1590年の小田原征伐に際し、前田利家・上杉景勝などが率いる北国勢の前に、戦わずして降伏開城。
北条氏滅亡後は、徳川家康の重臣、井伊直政が城主となる。
直政が、8年在城したが1598年、高崎城に移り、箕輪城は廃城となった。